やがて死に至る丁寧な暮らし

いつかまた会おう

ホタルイカ

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ホタルイカに異常な執着がある。

この時期になると旬のうちになんとしても口にせねばならないという謎の焦燥にかられはじめる。しかし出物は身が痩せていて値も張るのでぐっとこらえる。

特に今年は例年にない豊漁と聞く。富山湾には大量のホタルイカが押し寄せ、波打ち際に無数の光が明滅しているらしい。

無論現地では新鮮なホタルイカを手にすることができるが、太平洋側の一般人はそうもいかない。生ともなればスーパーの店頭で見ることはごく稀だ。

したがって通販を利用してこれを取り寄せた。水揚げ直後に冷凍されたものらしい。

ホタルイカは他のイカと同様に大量のアニサキスを抱えているので、非加熱で食べるためには冷凍しか方法がないためこれはありがたい。

早速流水解凍し、目玉やイカダ(軟骨)を除く。細かくなかなかに骨の折れる作業であるが、無心で続ける。昨今はおちおち外出もできない世情であるが、くさくさした生活に春が少しくきざしてくる。

あとは醤油に漬けるなり、鍋でさっと茹でるなり。

今回は市販のキムチの素を放り込んだ。これは勝ちです。

ツイッター

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ツイッターの利用をはじめてから10年以上の時間が消えた。実生活は様々な起伏がある一方で、SNS上の時間は平板に感じるのは自分だけでしょうか。

長い歳月を振り返っても、絶え間なく、日毎、目まぐるしく話題の入れ替わってきたツイッター脊髄反射的に怒ったり嘲ったり生知識を披露することは得意になったが、体系的な考えがまとまった記憶はない。その繰り返しが10年。そう考えると恐ろしくもあり、まあそんなものだと諦観するくらいには疲弊もした期間であった。

思考の体力的なものがジリ貧でも、日常に追われているだけで人は生きていかれる。

私は高等遊民でなく、一労働者です。なんの話ですか。

画像は最近食ったバナナパウンドケーキ。バナナパウンドケーキはうまい。なぜならバナナが入っているので。

寒い

花冷えどころではない。葉桜も目立つこの時期に傘も用をなさない雨風である。

このところ気候がまさにジェットコースターのごとくで、精神にもあまりよろしくない。今日は靴跡だらけの泥濘のような気分だ。


つまらない仕事で意識がぼんやりしてきて夢想をしていた。

野面を撫でた初夏の風を受けて歩く。傍には飼い犬がいる。汗ばむほどに歩き通して、休んではまた歩く。あてもなくどこまでも。日が暮れて沢の水を汲み、パンを分け合い陸を敷く。そうして一日が終わる。

人は常に現実から地続きでない場所を思い、翻って勝手に失望している。

この生活にささやかな笑いと安らぎが欲しい。ちゃんと飯を食うとか、風呂に入るとか、よく眠るとか、そういうことをすべきである。

ちゃんと寝なさい

昨晩は思考が空転して寝床でまんじりともせずにいた。やがて暁が部屋を満たして、それを恨みがましく睨めつけながら布団を剥いだ。全身に真綿でも詰められたようにフワフワと所在がない朝である。

午まではただ何をするでもなく過ごしたが、それでも空腹を訴えるのは我ながらフテブテしい体だ。飼い犬が退屈に耐えかねたような視線を投げてくるのでエイヤと外に出る。

コンビニで適当な食い物と酒を見繕い河川敷へ。

近隣の人々もやはり蟄居に倦んでいるようでそこそこの人出があった。はしゃぐ子らの声を遠くに、寝不足とアルコールでうつらうつら。ただ陽気に浸かっていると、疫病やつまらない世事も遠くにあるような気がしてきた。

帰宅してからはカレーを作る。今回は変にスパイスに拘らず牛すじと野菜の甘さで飽和したものになり、出来に満足した。料理は短期報酬なのでよいです。f:id:a_myth_girl:20200412010940j:plain

身辺雑記

何かを思い立ち、腰を上げるということがもう何年もないまま徒に歳を重ねてきた。

打開のために今更blog開設もないだろうとは思うのだが、まあ、ないよりはマシくらいの気持ちではじめてみるものです。

苔むした話、もう15年ほど前になろうか、auユーザーが無料で使えるweblogサービス(duoblogと記憶している)があり、そこに今や赤面の種としかならないような詩文を書き散らしていたことを思い出す。当時やりとりをしていた人たち、今もネットのどこかに生きているのだろうか。

今日の私はというと凡そあらゆる感情の振り幅が極端に狭まっている。辛いも悲しいも嬉しいも楽しいも、そして恥も生活という遠大なトートロジーの中で哀れに縮こまっている。

これからここに首尾よく駄文を書き連ねることに成功しますれば、老いの引き戸に手をかける自分の赤面の種くらいにはなることを期待するものです。

具体的な内容は、生活、趣味、随想という中年男性が発信するにはあまりにつまらないものになるでしょう。

ただ、この場所を漠然とした不安と苛立ちの隘路をゆくすべての仲間に捧げます。